池袋から西武池袋線に乗って一つ目椎名町の駅に降りると、
階段の踊り場に、大きな壁絵があります。
ここが「マンガの聖地」だという、まずは最初のアプローチですね。
階段下には、案内板があり、それに従って道を進むと、
通称・トキワ荘通りにたどり着き、かわいらしい「案内所」を発見するはずです。
平成25年にできたばかりの新しい案内所で、かわいい案内係の女性がいて、
丁寧かつ、やさしく解説してくれるんです。
案内所の2階には、トキワ荘の一室を再現したコーナーとか、
マンガ家たちがよく通ったラーメン屋のどんぶりとかが展示され、
1階では、ゆかりの漫画家の漫画も閲覧でき・・となかなかに頑張っているんですが、
いかんせん、トキワ荘跡には、モニュメントしかないし、
周辺は、シャッター下りっぱなしの店が多く、
「もう少し、頑張れるといいのになぁ」とい印象。
それでも、漫画家志望の若者たちには、「涙が出るほど感動する地」だそうで。
ああ、そうなんだ、若者は純粋でいいな・・と思うものの、
もう少し、なにか欲しいところですよね。
漫画家の先生方が、展示会や教室開くとか、
トキワ荘まんじゅうとか、漫画家になれるお守り売るとか、
なにか、一歩進める手段はないものか。
もったいなぁ・・と毎度思うのでありますよ。
2014年09月
13,14日と、豊島区長崎にある長崎神社の秋祭り。
この神社、西武池袋線の椎名町駅のすぐ前の、
狭い道路にお店がひしめき合っている、そんな界隈にあるんですが、
その狭い道路には、金魚すくいや焼きそばやアイスクリームやらの
露店がたくさん出て、歩く隙もないくらいの盛り上がりぶり。
神社にも、参拝の善男善女が参拝のために列を作っている。
そして、里神楽のご披露。
私は、感動しましたね。
日本のお祭りは、東京の真中でも、しっかり根付いているのでした。
豊島区は「消滅可能性都市」と指定されてしまったわけですが、
ここだけみれば、子供たちや若いカップルがいっぱい。
いやいや、ちゃんと若者もいるんだぁ・・と一安心です。
もっとも、お年寄りはこんな人ごみに出てこないのかも・・でありますが。
長崎神社は、長崎村の鎮守として信仰を集め、
江戸時代の中期には十羅刹女社と称せられていましたが、
明治の神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を祭祀し、
「長崎神社」となって今日に至るそうです。
私の横で、4歳のお孫さん連れた女性が、
「素敵な家が建ちますように」ってお願いしていましたが、
二世帯住宅でも建設中なんでしょうか。
さすがに「お家、建てているんですか?」とは聞けませんでしたが、ネ。
先回、紹介しました、鬼子母神の参道にある、雑司ヶ谷の案内所。
昭和8年築の建物をリフォームした、長屋。
数件が並んでいるひとつに、かわいいお店があるんです。
その名は「展示室」。店名からして、面白い。
少し前は、フツーの家だったところで、今もめったに開けなくて、
だから、その前を通るたびに、ここはなんなんだ?って思っていたんです。
今日、本格的にお店らしく開けてあったので、覗いてみました。
シンプルすっきりした器とガラス器。あと藍染の生地や品が、
遠慮がちに、並べてあります。
奥に、フツーの家のような台所が見えちゃって。
なんとも、欲がないというか、奥ゆかしいというか、商売になっているのかしら?というか。
若いお店のおねーさんに聞きましたら、つい最近から週末だけ開けています、とのこと。
いいねぇ、この商売っ気のない雰囲気。
とてもいい器なので、「サラダボールのサイズはないんですか?」と聞きましたら、
「作家さんに、言っておきます」ですって。
豊島区雑司ヶ谷3-19-6
showroom-tokyo.net
なんと上海にもお店があるようです。
鬼子母神の参道に、情緒に満ちた長屋風建物があるんです。
ケヤキの木々の中に、静かになじんで、なんともいい味をだしている。
ペンキ塗り替えたりして、リフォームした風情ですが、
なんと昭和8年の建築なんですって!
裏手にある、手塚治虫が住んでいた並木ハウスと同じオーナー。
かつても商店が並んでいたそうですが、今は、喫茶店や案内所が入って、
ほっとするような、若者受けしそうな空気です。
「町おこし頑張ってます!」という風な。
案内所に入ったら、係の人が外国人に折り紙を教えていました。
雑司ヶ谷七福神巡りのパンフレットとか、雑司ヶ谷墓地散策マップとか、
この周辺の文化紹介の資料があったり、
2階には展示室があったり・・豊島区頑張っている!
ただ、もう少しなにかが欲しいな~・・という不満がある。
せっかく材料は揃っているのに、生卵がないスキヤキのような・・。
せっかくのいい生地なのに、素人仕立てのワンピースのような・・。
なにか、いいアイディアはないものか・・と
勝手に考えているんですけど・・。
あまり、漫画は読まないんですが、それでも鉄腕アトムは、
子供のころ、夢中になって読んだものでした。
ほとんど、「鉄腕アトム世代」。
その作家、手塚治虫氏が、近所に住んでいらした・・という話は聞いていたんですが、
この辺、というのは分かるものの、見つけられずにいたのでした。
しかし、なんのことはない、雑司ヶ谷の案内所で聞いたら、すぐに教えていただいた・・。
人間、聞くは一回の恥、知らぬは一生の恥。
いやいや、聞くことは、ちっとも恥ですらないですが。
場所は、ケヤキの大木が茂る鬼子母神の参道の裏手。
で、彼が住んでいた「並木アパート」が、そのまま建っています。
昭和28年建築だそうで、見たところ、修復はされているようですが、
建物自体は、ずっとそのままだとか。
ここに、手塚治虫さんは、昭和29年に移ってきたんですね。
いいですよね~、この表札。
手塚治虫はここに来る前は、漫画の聖地といわれる
豊島区・南長崎のトキワ壮で暮らしていました。
もっとも、手塚治虫はトキワ壮には1年ほどしか居住していない。
漫画家仲間が集まりだして、部屋を譲ったんでしょうか?
うるさかったんでしょうか?
並木ハウスを見る限り、「静かに描きたい」と思った方かな?
とも思えてくるんですけどね。